SakuraSoTVの【田沼隆志】戦後教育から始まった保守政治家への道[桜H26/8/6]から文字起こしです。
※文字起こしは不正確である可能性があります。
(前略)
私がどういった人間かお伝えした方がいいと思うんですけども、私は38歳(※2014年時点)であります。元々は日本維新の会で衆院議員に2012年に冬の総選挙で当選させていただきましたけれども、その前は千葉の市議会議員をしておりました。30歳でですね、会社を辞めまして、外資系のコンサルティング会社に勤めておったんですけれども、特に日本の教育に疑問を持ちまして、この政治の世界にゼロから入った人間であります。
もっとずっとさかのぼるとですね、千葉市生まれ千葉市育ちの普通の青年だったんですけども、平たく言って左翼側の人間だったと思います。ですが、大学に入ってですね、当時歴史教科書論争というのがありまして、藤岡信勝先生とかですね、西尾幹二先生とか、漫画家の小林よしのりさんとか、そういった方々がすごく論争、従軍慰安婦論争ですね、で東京大学におったんですが、非常に興味を歴史に持つようになりまして、自分で勉強する中で、どうも私が高校まで受けてきた教育はおかしいな、ということにその論争の勉強に関わったりする中で、気づいていったんですね。
で、徐々に徐々にそれは大学を卒業した後も、外資系のコンサルティング会社に勤めておったんですが、その勉強を深めていく中で、どんどんどんどん自虐史観から脱却をしていきました。28歳、29歳だったでしょうかね、教科書採択、「教科書をつくる会」に私も所属してましたので、教科書採択の時にあまり結果が出なかったんですね。そのことに私は残念な思いを受けまして、これはなんとかしなくちゃという思いになった。
と同時にですね、鹿児島県の知覧に行きまして、特攻隊の平和記念館ございますけども、そこに初めて行ってですね、現地の実物の遺書を読んだんです。それに大変に感銘というかもう、魂を撃ち抜かれるような感動を覚えまして、若い人たちがこれだけの犠牲を払ってくれたのに、何を自分はやっているんだと恥ずかしい思いになりました。
で、これは何かをしなくちゃいけないという思いに、どうしても駆られてですね、当時独身だったこともあり、これはもう思い切って政治の世界に行こうと。で、この教科書採択を中心にですね、日本の自虐史観から脱却をしなければいけないという事に、我が人生とまではいきませんが、少なくとも十年はかけようと思ってですね、30歳で会社を辞めて、全くのゼロから政治の世界に入った人間であります。
そういったスタートでしたので、政治の世界、素人だったものですから、一度落選をいたしまして、千葉県議会議員選挙に31歳の時に出馬をいたしましたが、惜しくも敗れて、で、その後浪人生活を三年ほどやっている中で、たまたま補欠選挙の千葉市議会選挙がありまして当選させていただき、その後の選挙でまた当選させていただき、2期ほど務めておりました。
ですので、私、田沼隆志という人間はとにかく脱自虐史観。自虐史観から脱却すると。日本の若者たちが自分の国に誇りを持てるような、愛着を持てるような、そういう教育を作っていくことを悲願としている人間であります。
そういった中でですね、千葉市議会議員として、いろいろ教科書採択ですとか、様々なこの歴史の問題にトライをしてきたんですけども、何を言っても全然通用しないということにだんだんだんだん気づいてきたんですね。それが教育委員会の組織そのもの、制度そのものに問題があるということに、徐々に気づき始めました。
で、この教育委員会という組織はとんでもない組織だなと。新しいことは全くやらない。現場のやり方が最重視されてしまってですね、その裏側に日教組のやり方というのがある訳ですけども、なんでも少しでも日本のことを評価するような教科書となると、イデオロギーの問題になっちゃうんですね。
で、真実であるこの特攻隊の歴史とかですね、日本には様々な、陰もあったかもしれないけど、光もあった。そういったことがちゃんと伝えられる教育、教科書にしなければいけないと何度言ってもですね、教育委員会には全然通用しないということに、私も我慢できなくなりまして、教育委員会という組織を直さなくちゃいけないということを中心に取り組み始めました。
といった時に、大阪維新の会、当時、橋下知事ですね、が教育基本条例というかたちで、教育委員会に対して初めて評価をしだした。罷免も含める評価をしだしたんです。それに私は感銘を受けまして、日本維新の会での総選挙に自ら身を賭けてやろうということで、衆議院の世界に挑戦をし、なんとか当選させていただいて、今一期目となるわけであります。
ですので、日本維新の会の時代もですね、教育委員会改革を第一の私のライフテーマとして、やってまいりました。全てはこの脱自虐史観、若者たちに日本に誇りを持てるような、愛着を持てるようなそういう教育をしていきたいと。で、そのためには教育委員会という組織を、やっぱり新しいことを取り組めるような、本当にどういう心が大事なんだと、どういう心を養っていくことが大事なんだということをですね、きちんと決断できるような、そういう組織に変えていきたいと今でも思っております。
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