アメリカで最も自由が少ない場所(The Least Free Place in America)

PragerUのThe Least Free Place in Americaという動画の日本語翻訳を文字起こししました。

※文字起こしは不正確である可能性があります。


大学における言論の自由はいかに大事か。スウィージー対ニューハンプシャー州の裁判で1957年に最高裁が画期的な判決を下している。

「教員と学生は常に探求の自由を有する。でなければ、我々の文明は停滞し死滅する」

示唆に富む真実の言葉だ。だからこそ、今米国の大学で起きていることは看過できない。アメリカ大学協会が2010年に行った調査によると「大学で安心して少数意見を維持できますか」という質問に強く同意した大学4年生は30%に過ぎない。さらに酷いことに、少数意見を持つことへの自信は進級するに従って減る。最も自由な言論が保障されているはずの大学で、少数意見を単に心の中に抱くだけで若者が恐怖を感じなければならないのは、一体どうしてか?

それはもう何十年もの間、生徒たちは学校から反対意見の表明、ポリコレ違反、あるいは大学当局批判をするだけで、身の危険が及ぶと明確に伝えられてきたからだ。12年間、学生権利保護団体で働いてきて、実際に身の危険に晒されてきた学生たちを私は何百人も見てきた。

例を示そう。インディアナ-パーデュー大学インディアナポリス校で、ある学生従業員は、同僚が気分を害する本を公共の場で読んだというだけで、「人種差別」の罪に問われた。その本は、学校の図書館にあったノートルダム対KKKである。1924年、ノートルダムで行進したKKKの敗北を記録・記念したものである。なぜ大学はこの本が有害だとみなしたのか?本の表紙が理由である。

ノートルダム対KKK

デラウェア大学では、学生たちが必修のオリエンテーションの一部として、イデオロギーの再教育プログラムの受講を義務付けられた。そこでは、学生の間違った意見と信念を「治療」すると書かれていた。学生たちは、政治、人種、性、社会学、道徳哲学、環境主義について、大学が認める特定の見解を教え込まれる。また、彼らは住み込みの助手との個人面談に参加し、「あなたはいつ自分の性を自覚したか」といった個人を詮索し、プライバシーを侵害する不適切な質問に答えることを強要される。

さらに、宗教を信じている学生をキャンパスから追い出そうとする大学が増えている。例えばバンダービルト大学は、学生団体がその構成員や代表を信仰に基づいて選ぶのを禁止した。その結果、14のキリスト教徒の団体が大学から非公認にされた。

また、大多数のアメリカの大学には「スピーチコード」がある。スピーチコードとはなにか?それは大学が憲法修正1条によって保障されているはずの表現・言論の自由を制限あるいは禁止するものである。その規制は宗教的、保守的、ポリコレに反するものだけに適用される不公平なもので、単に大学当局が気に食わない言論に適用されることもある。

つまり、大学の外では自由に言ったり書いたりできることでも、それを大学内で言うと大問題になるのだ。大学当局が「侮辱的」「攻撃的」とみなす言論を禁止する規則も含まれる。

多くの大学が採用している馬鹿げた規制の一つに「不適切な人に向けられた笑い」がある。ジョージ・オーウェルが描いた世界のように自由な言論をキャンパスのごく一角の「フリースピーチゾーン」内に制限する大学もある。

最近、セントラルアーカンソー大学では、他の生徒を不快にすることをしたり言ったりするだけで、懲戒の対象になった。

大学のスピーチコードに関する学生権利保護団体が行った、過去最大の調査によると、アメリカの一流大学の62%が憲法修正1条に反する表現・言論の厳しい規制を設けていることがわかった。

こうした大学における検閲は何をもたらすか?拙著「忘れられた自由:大学による検閲と米国での討論の終焉」( UNLEARNING LIBERTY campus censorship and the end of american debate)に詳しく書いたが、ここでは3つの焦点に絞る。

第一に、大学の検閲制度で学生は気分を害されない権利を有すると教えられる。社会が人々には気分を害されない権利を有すると宣言することは、即、言論の自由の終焉を意味する。

第二に、大学の検閲制度で学生は浅い思考を習慣づけられる。他人の気分を害する結論に至らないよう批判的思考を控えよと教えられるからだ。さらに、教養ある人間は自分と意見が違う賢人を探して議論・討論すべきであるという普遍的原則を無視するようにと学生たちは教えられる。

第三に、大学は学生に、彼らが本来よりも少ない権利しか有していないと教える。彼らはどんな権威にも従えと教えられるのだ。自分の意見を言う前に許可を得なければならないと信じ込まされた世代の学生たちは、自由な思考をできない人たちであり、それは自由な社会の脅威にもなる。

憲法修正1条に書かれた権利はアメリカ社会の根幹である。それは、宗教的、文化的多元主義を育み、科学的・学術的進歩を加速し、その結果、我々は著しい繁栄を維持できた。

しかし、検閲、スピーチコード、ポリティカル・コレクトネスに汚染された今日の大学は「自由な社会」という我々独自の試みの未来を危険にさらしている。アメリカの高等教育機関創設時の理念とは正反対である。

学生権利保護財団代表グレッグ・ルキアノフ(GREG LUKIANOFF)によるプレイガー大学の動画でした。

↓詳しくは動画を御覧ください。

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