馬渕睦夫が語るディープステートの始まり

林原チャンネルの「ひとりがたり馬渕睦夫」#7 ディープステートの原点を探るから文字起こしです。

※文字起こしは不正確である可能性があります。


(前略)

・・いわゆるディープステートの問題についてお話したいと思います。ディープステートにつきましては、既にお読みになった方もあるかもしれませんが、ここ(※スタジオ)にもスタッフの方に用意していただきましたが、will2018年11月号の私のコラムで、トランプ攻撃の背後にいるディープステートという趣旨でコラムを書いております。

それから私の講演を聞いてくださった方も、最近の私の話題はもっぱらディープステートでありますし、別のネット番組でもディープステートにまつわる話を申し上げておりますが、今日は同じ話を繰り返すのではなくてですね、この、いわゆるディープステートのそもそもの原点は何かというところから説き起こしていきたいと思うんです。で、それと先程申し上げましたカバナー氏がですね、最高裁の判事になったということは密接に関連している訳ですね。

ところがメディア、いわゆるメディア報道ではこういう事は一切触れられない訳ですし、いわゆるその事情に通じた方の解説もいろいろありますけれども、最も重要な点には触れておられないんですねぇ。

折角の機会ですので、その、私が最も重要だと思う点を皆さんにご紹介しながら、その、ディープステートっていうのは要するに、国家内国家とか言われていますけれども、アメリカの真の支配者のことですね。この頃はこういう事を堂々と議論できるようになったと。これは大きな進歩だと思うんですが、勿論これはトランプ大統領が失言したおかげでもあるんですが、そのディープステート、我々がただ「ディープステート」「ディープステート」と言いますと、何となく胡散臭いものじゃないかというような印象をお持ちの方もいらっしゃると思いますけれども、一体ディープステートの本質とは何かという事をお話したいなと思っております。

で、ディープステートの原点ということですが、ディープステートという横文字だけではですね、やはりなかなか分かりにくいんですね。そのまま訳しますと深層国家ということになるんですが、それじゃ何のことかわからないわけですね。これは用語として統一されたものがありませんので、様々な言い方をする人がいますけれども、私もまだどの言い方が一番ピタッとするかっていうのはよくわかりません。しかし簡単に言いますと、今のアメリカだけではなくて、事実上世界を動かしている本当の勢力ということ、ととりあえず理解していただければと思います。

そういう勢力が存在するのだということを理解しないと、いくら今、例えば、米朝関係がどうなるとか、米中の貿易戦争はどうなるか、あるいはプーチン大統領の運命如何、そういうことをいくら議論してもですね、隔靴掻痒になってしまうわけですね。ですから、今日は是非、皆様方にもいわゆるこのディープステートというか、世界の真の支配者の原点というものについてお話申し上げたい思います。

前置きが長くなりましたが、実は、その、いわゆる時事問題の解説をおやりになる方はたくさんいらっしゃいますし、非常にそれに長けた方もいらっしゃるんですが、歴史をさかのぼってまで説明できる、余裕が無いんだと思いますね。能力が無いとは申しませんが(笑)。そんな失礼な事は申しませんが、なかなか余裕が無いんだと思います。しかし繰り返しになりますが、そのCurrentな問題、時事問題を理解するには歴史の背景を理解してないとやっぱり本当のところがわからないということをもう一度強調しておきたいと思います。

そこで、そのディープステートの原点なんですが、なんと今から100年前にさかのぼらなければいけないんですね。こうなると皆さんはお手上げになる方が多いと思いますけど、そんな昔などあまり関心が無いとおっしゃる方もいられるかもしれませんが、実はアメリカのディープステートというものは要するに、アメリカの建国の歴史をみなさんご存知ですが、1776年に独立宣言をしたということですね、しかしその時のいわゆる国体というか、アメリカの建国の精神、あるいは建国の体制といってもいいんですが、それが実は今から100年前に変わってしまったということですね。

この事を理解していない論調がほとんどなわけです。ですから、それがわからないと今トランプ大統領がやっていることも、なぜ最高裁の判事の任命が大きな政治問題になるのかわからないわけですね。

で、じゃあ100年前に何が起こったかということなんですが、厳密に言いますと1912年から起こっているわけですけどね、1912年というのはアメリカの大統領選挙の年だったわけです。で、その大統領選挙で、実は我々も名前はよく知っているんですが、当選したのがウィルソン(ウッドロゥ・ウイルソン)だったんですね。我々は学校で理想主義者の大統領だとね、平和14原則ですか、何か難しいことを提唱したとかね、ウィルソンの14原則とか、ベルサイユ会議を主導したとか、色々ありましたけれども、日本との関係でいえば、日本がベルサイユ会議で提案した人種平等提案を葬った張本人でもあるんですよ。ウィルソン大統領はね。その話は別の機会にお話したいと思いますが、アメリカでウィルソン大統領が出現したってこと自体が、今日のディープステートを産む原因って言いますか、元凶になっているんですね。

それはどういうことかということなんですが、ウィルソン大統領は従って1913年に就任して8年間、一応務めたわけなんですけれども、ウィルソン大統領はなぜ大統領に当選したかと、この辺から理解しなきゃいけないんですね。この辺の、いわゆる教科書的な理解っていのは実に表面的なんです。ウィルソン大統領が現職のタフト大統領を破って当選したと。しかし、どうしてウィルソン大統領が、その頃、事実上無名だったんですよ、ニュージャージー州の州知事をやっていましたけれども、現職のタフト大統領、共和党のね、これはそれなりに有力な大統領だったわけですね。有能な。ですから、普通、現職の大統領っていうのは二期目は最も安定しているわけですから、普通、一期だけで二期目に敗れるっていうことはまず無いんですが、それが負けるっていうことは何か裏にあると皆さん思われてもいいんだと思いますね。

その後も一期だけで終わった大統領の例は、皆さん思い出されると思いますが、何か背景にあるはずなんですね。それでウィルソンの時はどういうことかというと、どうもその現職のタフと大統領のある政策がアメリカの、何て言いますかね、キングメーカーというか、影響力を持っている人の意に添わなかったということだと考えられるわけですね。それは何を巡ってかということは、次第に明らかになっているんですが、まだ十分歴史的な事実としては確定していないんですが、ロシア問題を巡る態度だということを、一応今の段階では申し上げておきたいと思います。

それはいろんな伏線なんですけれども、その4年後にロシア革命が起こったりするんですがね、あるいはロシアとアメリカの関係ですね。そういうものを含んだロシアを巡る問題について、タフト大統領といわゆるアメリカの、その頃力を得てきた勢力との間で、どうも意見の不一致があったというふうに理解していただければと思います。

そこで何が起こったかということですね。そうすると、タフト大統領は、その頃どういう世論調査があったか私は詳しく知りませんけれども、常識的に見ればタフト大統領が勝つことは想定されていたわけですね。で、たとえ、ウィルソンをかついでも勝てる見込みは無かったわけです。そこで何が起こったかということですね。

突然共和党が分裂したんです。タフト大統領の母体である共和党が分裂して、進歩党っていう第三勢力ができたんですね。その進歩党の党首に担ぎ上げられて、大統領選に参入したのがタフトの前の大統領のセオドア・ルーズベルトなんですね。セオドア・ルーズベルトの名前は皆さんにとってもとても親しみのある名前ですね。日露戦争のポーツマス会議を主催してくれたりと。その大統領で、結果的には日本を事実上、かなり応援してくれた大統領でもあったんですが、そのルーズベルトの後、同じく共和党のタフトが大統領になってたということですね。

ところが、ルーズベルトがタフト大統領を推薦したというか、自分の後継者として大統領にした、ルーズベルトが、現職のタフト大統領に反旗を翻したということですね。これは、常識的に私達が考えて、何も背景がなくてそういうことが起こるはずがない訳ですね。たとえ、そのタフト大統領の第一期の政治のやり方に、推薦したというか、自分の後継者に選んだセオドア・ルーズベルトが若干不満を持っていてもね、第三党を作ってまで、彼を引きずり降ろそうという気持ちには普通はならない訳ですね。

そうすると皆さんもお分かりのように、どうしてもウィルソンを大統領にしなければいけないという一つの大きな意図がその背後で働いていたということが、合理的にって言いますかね、常識的に想像されるわけですね。キングメーカー、つまりアメリカの大統領候補を選ぶキングメーカーのことなんですが、そのキングメーカーが大統領候補として、結局二人選んだってことですね。二人っていうのは誰かっていうと、ウィルソン、民主党の大統領候補と、それから進歩党のセオドア・ルーズベルト前大統領を選んだわけですね。

で、結果的にはそれで三つ巴の戦いになりましたから、民主党のウィルソン大統領が漁夫の利を得て、僅差だったんですけどね、タフト大統領と、当選したということになるわけですね。ところがこの話は長くなるんですが、しかしこのウィルソン大統領は、言わばアメリカのキングメーカー、当時力を得てきたウォール街の金融資本家ですね、に大統領にしてもらったという引け目があるわけですね。それは意図が有って大統領にしてもらったんですが、そのウィルソン大統領は大統領に就任して何をやったかということで、それを理解すれば、ウィルソン大統領がまさにウォール街の、そういう金融資本家の、言わば影響下にあったということがすぐわかるわけなんですがね。

それは以前にも、何度もいろんな席で申し上げておりますが、この席でも申し上げた記憶がありますけれども、その大統領に就任したその年の暮れに、いわゆるFRBというアメリカの中央銀行ができたんですね。そのFRBという中央銀行は、念の為ですが100%民間銀行なんですね。で、株主はロスチャイルド系の銀行であるとか、ロックフェラー系の銀行であるとか、そういうその英米の金融資本家だったわけですね。

で、それがあれよあれよという間に成立してしまったということで、ウィルソン大統領も、そのFRBの法律の意味も十分に理解せずにサインしてそれを成立させてしまったと。こういう経緯があるわけなんですね。で、これがディープステートの重要な核である金融を、そういう意味ではディープステートが握ったという、その、最初の出来事なんですね。

ところが今日申し上げたいのは、この金融の話はかなり浸透しておりますので、今日はむしろその最高裁判所判事の話をどうしても申し上げたいわけなんです。そういうことで、ウィルソン大統領について始めたと、そういうことなんですが、ウィルソン大統領はこういうキングメーカーに大統領にしてもらったんですが、ある時、ウィルソン大統領は難題をふっかけられるわけです。

それはウィルソン大統領は実は、あれはプリンストン大学の総長時代に、今で言えば不倫をしておられたわけですね(笑)、笑いながら言っては失礼なんですが、ところがその不倫相手の御婦人の息子が金銭トラブルを起こしたということで、相当の負債を抱えられたらしいんですね。で、そこで、その母親の代理人の弁護士がウィルソン大統領を訪ねてきた。ここから始まるわけなんです。

で、その弁護士の名前はアメリカでは実は有名な弁護士なんですが、サミュエル・ウンターマイヤー(Samuel Untermeyer)っていう弁護士なんですね。このサミュエル・ウンターマイヤーってのは、実はアメリカの当時のウォール街の最も有力な法律事務所の一つであった、グッゲンハイム・ウンターマイヤー・マーシャルっていう法律事務所があるんですが、そこの腕利き弁護士だったんですね。

サミュエル・ウンターマイヤー経歴

で、ウンターマイヤーがこういう話を持ってきたわけです。つまり、私が代理人を務めている御婦人の息子が25万ドルの負債を作ったと。それはなんとかしなきゃならない。当時の25万ドルってのは、多分100倍くらいですね、今の値段で言えば。莫大な借金をしてしまったわけですね。なんとかしなきゃならない。で、ついてはここにあなたが、「あなた」がってのはウィルソン大統領ですが、御婦人に宛てた手紙がありますと。ラブレターが有ったんでしょうね。これを25万ドルで買い取ってほしいというディールを持ちかけてきたわけですね。

勿論大統領になったばっかりで、大統領ってのはほとんど給与がありませんからね、その、ウィルソン大統領もそんなお金は出せないってことですね。向こう(※ウンターマイヤー)は先刻承知なわけなんですが、じゃあ、ウンターマイヤー曰く、わかりましたと。私が何とかしますと。そのかわり条件が一つありますと。それは次に最高裁判所の判事に空席が出来た時には、私が、つまりウンターマイヤーが推薦する人を判事に指名してくださいと。こういう取引をやったわけですね。意味もわからずにウィルソンはそれで「お金が助かった」と思ったんですかね、OKしたわけです。で、それからほぼ一年後に、多分一年後、正式なあれは忘れましたが、最高裁の判事の欠員が生じたんですね。

で、その時にウンターマイヤーが推薦したのが、ルイス・ブランダイス(Louis Dembitz Brandeis)という弁護士なんですが、この弁護士はヤコブ・シフ商会の顧問弁護士なんですね。

ですから、このルイス・ブランダイスを推薦して、そしてウィルソンはその通り、それを指名して、それが議会で承認されて最高裁判事に就任するわけなんですが、なぜ長々とこの例を出したかというと、このルイス・ブランダイスがアメリカの裁判史上っていうんですかね、最初のユダヤ系の最高裁の判事がこのルイス・ブランダイスなんですね。で、今まで黙っておりましたが、ウィルソン以外、今まで名前を出した人、皆ユダヤ系なんですよ、皆さん。

そういう人が、今から100年以上も前ですが、アメリカの心臓部を握りつつあった。実際にもう握っていたんだと思いますけどね。それが、私が申し上げているディープステートの原点、というのはそこにあるわけです。で、その時にちょっと繰り返しになりますが、まず金融を握ったわけですね。これはFRBの設立に典型的に表れている。

それから司法に進出してきたんですね。これがアメリカの最高裁の判事に初めてユダヤ系を送り込んだ。しかもその送り込んだ経緯が、ウィルソン大統領のスキャンダルだったということですね。ここに何か不透明なものを感じるわけなんですが、結局そのルイス・ブランダイスというユダヤ系の弁護士が最高裁判事に就任したことで、この後申し上げることも実は歴史教科書からは出てこないんですが、アメリカが第一次世界大戦に参戦することになるわけなんですね。

このルイス・ブランダイスは、当時シオニズムと呼ばれておりましたが、パレスチナの地にユダヤ国家を造るという運動の先頭に立ってた人なんですね。で、彼がパレスチナにユダヤ国家を造る必要性を、ウィルソンに諄々と説いたということなんですが、なぜそのことがアメリカの参戦と関連するのかと言いますと、当時イギリスは苦戦をしていた訳ですね。ドイツとの戦争でね。

当時は、第一次世界大戦は皆さんご承知のように、ドイツと若干のオスマン・トルコとかの枢軸国ですね、ドイツとオーストリア・ハンガリー、オスマン帝国対イギリス・フランスだったんですが、そこへ形勢が悪いということで、どうしてもアメリカを参戦させたいというのが、イギリスの意向だったんですね。

その取引の材料になったのが、パレスチナ問題だったわけです。そこで、そのアメリカを参戦させるために、イギリスがパレスチナにユダヤ国家を造るということに同意すれば、アメリカを参戦させるというのが、このブランダイス以下、アメリカ、それからイギリスももちろんロスチャイルド以下、有力な金融勢力がいたわけですけれども、その人達の戦略だったわけですね。そこでその先頭に立って、活動したのがこのルイス・ブランダイスだったわけなんです。

で、そこでその晴れてっていいますか、1917年の4月にアメリカは第一次世界大戦に参戦することになるんですが、この参戦の引き換えが、イギリスがパレスチナにユダヤ人国家を認めるっていうことだったんですね。で、ここまでは出ないんですよ、歴史教科書には。ここから先は出てるんです。それは何かと言うと、イギリスが突然バルフォア宣言というのをその後で発するんですね。

バルフォア宣言

↓↓続きは動画で御覧ください。

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