TSJ(THE STANDARD JOURNAL)の韓国の竹島「侵略」が約23分で納得できる動画。レーダー照射するずーっと前から韓国のトンデモっぷりは変わらなかったという件。から文字起こしです。
※文字起こしは不正確であることがあります。
(山岡鉄秀) 竹島ですけども、江戸時代からアシカ漁とかあるいはアワビですとかそういうものの非常に好立地で、自然に利用されていたということなんですよね。
(和田憲治) 岩の島で人が住めないような所ですね。水が取れないでしょ、これ多分。
(山岡鉄秀) そして1905年、これ明治38年になるんですけども、他の国が領有を主張していないことを確認した上で島根県に編入したということですね。
(和田憲治) 昔から日本人はよく行ってたけど、韓国人はほとんど来てないんですよね。韓国人は漁師ってのは沿岸部だけでしかほとんどやってなくて、沖合に出るってのはほとんどやってないですからね。
(山岡鉄秀) その時点で領有権の問題ってのは無かったわけなんです。そこでですね、これ問題になってくるのが、マッカーサー・ラインっていうですね、なかなか知らない方も多いと思うし、あまり話題になることがないんですけども、実は戦争が終わった直後にですね、マッカーサーが日本の周りに、この絵ではラインしか出てないんですけれど、グルーンと囲んで、これマッカーサー・ラインだと。この中でしか漁をしちゃだめよと。ここから出ちゃだめだよということをやったわけなんですよ。
これはですね、元々日本の漁師さんってのはずーっと遠くまで行って漁をしてましたんでね、それをこの機会に閉じ込めてやろうという意図もあったと。問題はですね、日本海側なんですけど、これよくご覧いただくと分かるんですけど、このマッカーサー・ラインっていうのは竹島とかですね、内側、日本側に引かれてるんです。ただこれは、あくまでも漁業とか捕鯨とかそういったものに対する認可であって、漁船の活動領域を定めたものであって、あくまでも便宜上のもので、領土・領有権というものを決定するものではないという事ですよね。
そういう事を明確にしていたわけなんですよ。だけどこれ見て、韓国人喜んじゃうわけなんですよね。元々戦争が終わる頃から、李承晩、この李承晩は最初の大統領ですよね。やっと韓国が独立らしきことをしたのが1948年ですけど、米軍の統治が終わったから。つまり日本が戦争に負けても、自動的には独立できなかったってことなんですよね。
(和田憲治) マッカーサー側は日本に「韓国、あれなんとかしろよ」と言われたけど、日本は「いえいえ、いいです、いいです」と。あのダチョウ倶楽部のような感じで、「お断りします」という形だったんで、米軍がしょうがなく軍政をひいて、それでそれから独立できた。だから日本から独立したんじゃなくて、韓国はアメリカ軍から独立したと。
(山岡鉄秀) そうですね。その時に朝鮮総督府というのはしばらく機能したわけですよね。だから全然自力で独立できなかったわけなんですけども、その李承晩がマッカーサー側に強く要求したのが、「韓国を戦勝国として平和条約に加えろ」と言ったわけですよね。ちょこちょこっとした独立運動というのはあったと。しかし独立政府というのは、どこからも了承されず規模も小さく、実際に戦闘を交えることもなく、したがって全然認められない。だから戦勝国として平和条約に加わる、それはもう無理な話だと。無理も無理だって、日本の一部として日本軍に何十万人も入っててですね、一緒にやってたわけですからね。
(和田憲治) そうそうそうそう。しかも、定員オーバーくらい。募集している人数よりもはるかに多かったくらい。
(山岡鉄秀) そうそうそう。皆殺到したわけですね。
(和田憲治) 日本軍として戦いたいと。
(山岡鉄秀) もう入りたくてしょうがなかった。で、しかも竹島を日本領土から除外しろと(李承晩が要求した)。このマッカーサー・ライン維持しろということですね。そういうことを(李承晩が)要求したわけですよ。ところが、それに対してアメリカ側が正式な回答をする。それがラスク書簡ですよね。これが51年7月19日ですね。
で、この時に、当時国務次官補だったディーン・ラスクさんから「この無人の島嶼はこれまで韓国の一部として扱われたことは一度もなく、1905年より日本国島根県隠岐の島庁の管轄下にある。この島は韓国政府によって権利の主張がなされていることがこれまで明らかになっていない。」つまり一度も主張したことがないわけですね。だから正式に断ったわけですよね。
これでだから、はっきり言って決着したわけなんですよ。ところが、その李承晩は、やはり戦勝国になれなかったということを相当恨んでいたそうです。これは韓国人の人から聞いたんですけどもね。もうそれだったらいいやと。じゃあ勝手にライン引くよと言って引いてしまったのが、皆さんご存知の李承晩ラインなんですよね。
これ1952年1月18日、その前年に署名されているサンフランシスコ講和条約、要するに平和条約ですね。これが発効する三ヶ月前なんですよね。これどういうことかと言うと、マッカーサー・ラインというのは引いたけれども、しかし平和条約が発効すれば、自動的に無くなるということです、それは。そういう前提だったわけですね。ですから、じゃあその前に引いちゃえと言ってですね、無理矢理引いた。これなぜか北朝鮮の方までグルリンと回っている、見るからにいい加減な。さすがに対馬は含めなかった。でも竹島は含めたわけですよね。
で、ここから日本の漁師さんたち、ここまで行きますよね。ここに赤いライン引いてあったって、海上に赤いライン引いてあるわけじゃありませんからね。しかもこんな事を一方的にやられても、漁師さんはここに漁に行く。そこに対する、一方的な銃撃。そして拿捕。拷問、そして抑留。そして腐敗した食事を与え、栄養失調のあげく殺したりとか。そういう事をやっていくわけです。
(和田憲治) 人権無視ですよね。
(山岡鉄秀) 人権無視ですね。そしてなおかつ日本政府に対して、日本政府は当然返してくれというわけですよね。だけど、ここっていうのは本当に空白期間で、事実上丸腰。どうすることもできなかったってことでしょ。
(和田憲治) 再軍備っていうか自衛隊の再軍備とかも全然固まってない時ですからね。
(山岡鉄秀) そうです。この時点ではですね。安保条約はあったけれども、まだまだ無いんですよね。発効する前ですから。無いところをやったということですよ。その時に日本政府に対して「返してほしかったら、密航して捕まっている約1000人、それから凶悪犯として捕まっている約400人の釈放をしろ」と。
これはどういうことかというと、1000人、密航者がいるってどういうことですか。軍艦島とか言って、もう強制的に拉致されて連れて行かれてね、地獄の島で、なんで1000人も密航者がいるんだって事でしょ?だから現実には、密航してまで日本に来てたんですよ。
(和田憲治) だからあの本当に戦争終わって、一旦日本は追い返しているはずなんですよね。日本に来てた韓国人というのは。追い返しているけれども、みんなやっぱり日本が良かったから、あと日本語喋れるしということ、あとその日本語教育受けてたから、ということでどうしても「この国よりは日本の方がいい」って言ってめちゃくちゃ来てるんです。それが今の在日のはしりですよね。
(山岡鉄秀) そうです。これは要するに併合下においてもですね、日本が動員かける、募集したりですね、官斡旋したりするのとは別に、どんどんどんどん何十万人も渡ってきちゃうわけですよ。だからそういう意味において、日本が本当はここで働いてほしいなとか思っても、そのとおりにはならず、みんな好きなところで働いちゃう。不法滞在する、密航する。この時点で1000人密航者返せって言うこと自体もう破綻しているでしょ。それが現実だったわけですよね。
それから凶悪犯400人というのは、何回も何回も犯罪を犯していたというのが捕まっていた。でもそれを釈放しろ。ここでね、「釈放しろ。でも俺たちに返すな」ってことなんですよ。密航者は返せと。だけどこの(凶悪犯)400人は日本国内で釈放しろ。だけど朝鮮には返すな。
(和田憲治) 犯罪者を野放しにしろと。最悪な事を言ってますよね。
(山岡鉄秀) 最悪な事を言ってるんですよ。でも日本政府のんだらしいんですよ、これを。
(和田憲治) 最悪ですね。
(山岡鉄秀) で、日本政府がどうしようもないから呑んでいくじゃないですか。
(和田憲治) 返してほしいですからね、漁師をね。ちゃんとした日本国民ですから。
(山岡鉄秀) そう。そうしたら更に日本が弱っているのを見て、「じゃあ1億円払えや」と。これもう完全にゆすりたかりヤクザの世界でしょ。だから家族の大黒柱だったお父さん、漁師さんですね、を取られちゃって、返してもらえなかった家族の中には、発狂してしまったりですね、絶望して。あるいは自殺してしまった方も出てしまったということなんですよ。
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