戦後なぜ日本でユダヤ研究がタブーになったか?

林原チャンネルの河添恵子#8-2 ゲスト:馬渕睦夫★ディープステートが支配する世界から文字起こしです。

※文字起こしは不正確である可能性があります。


馬渕 それはね、今に始まったことじゃなくて、まぁ今から100年前から始まってるんですけどね、ウィルソン大統領の時代から始まってて、これはご承知のようにFRBが出来たのがウィルソン大統領の時ですね。あれでアメリカの金融ってのはウォール街とシティに握られちゃったわけですよ。つまり民間人にドルが握られたということです。これはものすごく大きな事なんですが、日本の、世界の学者はそれは誰も言わないんです。それはなぜかというと、一つ忘れましたが、ディープステートが握っている中に教育界、言論界、それから学会・アカデミックがあるんですよ。だから、彼らに逆らったら・・

河添 出世できないってことですよね(笑)。

馬渕 大学教授の椅子を失うということでしょ。

河添 万年平社員になっちゃうっていうね。

馬渕 そういう風にね、張り巡らされてるんですね。正にディープステート。しかも、そういうその司令塔と言えるかどうかわかんないけども、そういうのがあるということすらね、隠されてきてるっていう。気づけ無いようにしてる。それはメディアの役割が大きいわけですよね。メディアの言論の自由だとかね、メディアってのは権力の監視機関だとかね、そりゃ彼らが勝手に決めてることですよ。これを我々は気づかなきゃいけないんですよ。「報道の自由が重要だ」ってのは彼らが言ってるだけでね。

河添 そうですよ。そのうえでね、戦前の例えば神戸新聞とかも、見てみるとユダヤ金融とかサッスーン財閥とかそういった言葉って相当出てたんですね。特に神戸ってユダヤ系の方も割と多く住んでたから。で、蒋介石にはそういったサッスーンからのお金が行っていたとか、非常に新聞にはジャーナリスティックな文章が出てたわけですよ。ところが戦後タブーになってきたということは、何か私の勝手な考えの一つとしてアウシュビッツのような状況があって、ユダヤの人たちは被害者ですというような、勝手にそういうような雰囲気も作られてしまってる中で、もちろん被害者たくさんいらっしゃるわけですが、ですから、そういった「ユダヤ人」という言葉を出すことをタブー視してきたのか、どうしてなんですか?

馬渕 それは重要な指摘でね、そもそもGHQの大佐はユダヤ系でしたから。マッカーサーは知らなかっただけでね。ユダヤ系の人は、GHQが何をしようとしたかというと日本を社会主義化しようとしたわけですね。でもそれは結果的には失敗したわけなんですがね。おっしゃる通りにね、戦前はかなりユダヤ研究ってのは・・

河添 進んでましたよね。

馬渕 行われてたんですよ。そういう本も出てたしね。ところが問題はね、肝心の当時の政府がなかなかそれに気づけなかったっていうか、むしろ逆にね、アメリカとも同じなんですが、そういうコミンテルンなのか、とにかくスパイにやられてたわけですよね。有名なのはゾルゲとか尾崎秀実とかね。ところがね、そういうスパイを見抜いてた民間の人はいたけれども、政府がなぜ見抜けなかったというと、政府の中にもね、そういうその共産主義を支援する連中がいたわけですね。

河添 そうですね、入り込んで。

馬渕 軍部の中にもいてね、統制派とかいたわけでしょ。

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